埼玉の伝統的野菜「川越いも」

埼玉県農林総合研究センター 園芸研究所 露地野菜担当

食品豆知識(埼玉の伝統的野菜「川越いも」)

「川越いも」の名の由来は、川越城主松平大和守が、10代将軍家治に献上したときに賜ったとか、江戸でも色・味の良さが評判になり、付いた名前だとか言われています。

サツマイモの原産地は、メキシコを中心とする熱帯アメリカと言われ、日本へは、ヨーロッパを経由しフィリピン→中国→沖縄→九州へと伝播してきました。

関東へは、1732年の享保の大飢饉を機に、8代将軍吉宗が、青木昆陽に命じ、薩摩藩から苗を取り寄せ、小石川植物園・幕張村・九十九里浜不動堂村で試験栽培をし、落ち葉のさつま床を考案し、各地に広めました。

川越へは、1751年、南永井村(現所沢市)の名主吉田弥左衛門が、息子を上総国志井津村(現千葉県市原市)へ送り、栽培方法を伝授してもらい、サツマイモ200貫を購入し、栽培したのが始まりといわれています。

当時の栽培は、現在の所沢・狭山・三芳周辺で、関東ローム層からなる武蔵野台地で行われ、出来たサツマイモは、新河岸川舟運基地である川越に集められ、新河岸川→荒川→隅田川→大根河岸(市場)へと送られました。

江戸では、サツマイモは蒸して食べられていましたが、1800年頃焼き芋が登場しました。焼き芋は、安いうえに、甘くてうまく、腹の足しになったことから、庶民に好まれたため、瞬く間に広まり、「九里四里うまい十三里」という宣伝文句も生まれました。

この宣伝文句は、「栗よりうまい」を意味し、十三里は、「九里+四里」「江戸から川越までの距離」「中国の農政全書の中に記載されているサツマイモの13の利点」等諸説あります。

品種は、1898年に木崎村(現さいたま市)で、味と香りに優れた「紅赤」が発見され、急速に普及し、「紅赤」は、「川越いも」の代名詞とまでなりました。その後1985年「紅赤」より甘みがあり、収量が2~3割多い「紅あずま」が品種登録され、現在主流は「紅あずま」へと移り、「紅赤」は一部での生産にとどまっています。

おいしい「川越いも」は、今でも引き継がれて栽培され、観光芋掘りや庭先販売が行われています。是非一度ご賞味頂ければ、川越いもの美味しさが、良く解かって頂けると思います。

給食会報161号(平成25年9月)から

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